ごはんに思う

 ごはん。つまり食事。うんちの実際と並んで大事な話ですね。食事というか、栄養を摂取することは、生きるために不可欠なことで、介護においてはいろんな問題をはらむことがあります。でも、ごはんってそういうものなのか。4分くらいで語ります。

 それではまず、どんな問題があるのか、いくつか挙げてみましょう。食事形態、量、好き嫌い、制限、経路とかでしょうか。細かいことを言うと他にもありますが、まずはこんなところで。

 「食事形態」というのは、たいてい嚥下えんげ、つまり飲み込みに問題がある場合に気にするところですね。嚥下障害。飲み込むと変なところに入ってしまってムセることが多い、これを誤嚥ごえんといいますが、そういうことを防ぐために、食事形態に注意することは、とても大事なことです。変なところというのは、気管や肺です。そんなところに食べ物が入ってくると、消化吸収されるわけもなく、肺で悪さをして肺炎になります。これが、誤嚥性肺炎です。場合によっては命取りになりますし、そうでなくても苦しくて辛いし、痰が出て、もー大変。介護が必要な方が病院やクリニックへ受診するというのも大変ですね。入院になるかもしれません。
 ちなみに、ご飯を食べていない人でも誤嚥性肺炎にはなります。お口の中の常在菌とかが、少しずつ肺へ入っていくのです。なので、ご飯を食べている・いない、に関わらず歯磨きが、業界では口腔ケアといいますが、肺炎予防に重要です。口腔ケアについてはまたの機会に。

 ということで、飲み込みしやすくするために、ごはんは軟らかくしたり(軟ご飯)、お粥にしたり、ペースト状にしたり。おかずも細かく刻んだり、ムース状にしたり、飲み物もフレンチドレッシングやソース、ケチャップ、はちみつのようなトロミを付けたりするわけです。
 介護をするとなると、その準備をしなければなりません。トロミ剤を入れる、とかですが、とにかくひと手間ふた手間増えるわけですね。(トロミのつけ方の記事はトロミをつけるがあります)
 でも、飲み込みを悪くさせてしまうのは食事形態だけではありません。ちゃんと起きていますか?寝ぼけているときにご飯を食べさせられても、ちょっとそれは。天井を向きながら食べてもちょっとちょっと。

 そんな感じで、「量」はどうかな?ちゃんと必要な量が食べられているのかな。食べないのは「好き嫌い」によるものかもしれません。心臓が悪いので塩分控えめにするように「制限」されているために、味が薄くて美味しくないから食べない、とか。飲み込みが出来なくなってしまったなど、何らかの理由でお腹に穴を開けて(胃ろうといいます)、そこから栄養を注入する「経路」で栄養を摂取しています、とか。点滴で栄養を注入(高カロリー輸液とか)している場合だってあります。どれも介護者泣かせですし、本人も辛い。そして、食事ですから、基本は1日3回。

 こんな具合で、食事もいろんな問題が起きてくることがあります。健康な人でもたまに変なところに入ってむせるくらいですからね。ちゃんとゴホッ!ゴホッ!!と力の入ったせきで入ったものを押し返せればいいですが、高齢者など、咳の力が、エホエホ、コホコホ、と弱まっていると徐々に肺炎になってしまいます。もっというと、健常者であれば変なところに食べ物が入ると、体内センサーが反応して咳が出るわけですが、そのセンサーが反応しなくなって、咳すらでない人もいます。不顕性ふけんせい誤嚥といいます。むせてないから大丈夫、と思っていたら、実は肺へどんどん入っていた、というパターンです。

 でも、食事ってもともとそんなドキドキ心配しながらするものではないですよね。人やご家庭にもよりますが、食事というのは楽しみでもあったり幸せであったりしますし。みんなで一緒に食べて、話をして、笑って、食事の時間を過ごす、とか。楽しみ方は人それぞれですけど、生きるために肺炎覚悟で毎回ひやひやしながら必死に栄養摂取、というのはなんか違う。

 誤嚥性肺炎などの無用なトラブルを起こさないために、状態に合わせた食事をとる必要はあります。でも、その対策ができたら、あとは楽しく食事をとるようにできるといいと思います。みんなと同じ食卓で食べるとか。ごはんを団らんや楽しい生活の一部とするのか、介護行為の一つとするのか。同じ栄養摂取かもしれませんが、生活の豊かさ、うるおいが違うんじゃないでしょうか。介護に集中していると、安全に気を取られすぎたりすることもありますが、おうちかいごはおうちで生活することですから、楽しく幸せな時間を過ごせたらと思います。

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